オクトーバーフェスト、先週末で終わりだったんだって。間違った情報流してごめんなさい。
えーと、当然着物で行ったので、着物写真にしようかと思ったんですが、その前に、三人で住吉大社に行ったのでそちらの日記から。
何で先に日記書かなかったかと言えば、のわこさんの写真を待ってたからです。自分で撮れば良かったのにって?ですよねー(笑)
そもそもなんで住吉さんに行こうかと思ったかって言うと、場所に決め手は無かったんですが、前に大阪城に行った時に「なんだこの不思議空間」と思ったからです。
その時の日記にも書いたような気がしますが、あの辺りに残ってる物って時代の坩堝なんですよね。
古代から近代まで全部しっちゃかめっちゃか押し込んだ感満載なの。
大阪城公園こそ、1600年代くらいからのものですが、少し下ると難波宮があったり。
古代って、本気で古代ですよ。
大化の改新があったのって、難波宮ですから。大阪も短いながら都だったことがあるんですよね(笑)
たかが400年ぐらいでも、城や石碑と戦時中の建物や銃創が普通に混在している違和感の上に、はるか飛び越えて昔の遺跡がすぐ傍にあるっていう違和感。しかも城が何か変(虎ー!?笑)。っていうところに、悠久っぽい何かを感じてしまった訳です(笑)
日本歴史あるね!凄いね!とは漠然と思ってたけど、その日本が日本たらしめる有史の最初から「ここ」があったんだなあと感じたというか。
と、言う訳で日本再発見と申しますか、そういうのをやりたいなあと思っていて、手始めはやっぱ大阪再発見だろ。と。
それで、とりあえず思いついたのが住吉大社と大阪天満宮だったんですが、大阪唯一の路面電車にのわこさんが興味を持ってらしたのを覚えていたので、住吉さんに行くことにしたのです。
ちなみに私はこの路面電車をチン電と呼んでいますが、みんながそう呼んでるのかどうかは知りません。
それにしてもこの住吉大社、実は家からだと多分車だったら30分もかからないような位置にあるんですが、公共交通機関の配置が微妙で(大阪ホント便利悪い!)、ものすごく大回りしないと行けないんですよねえ。
しかしてまあチン電久しぶりだしいいか。という感じで。
住吉大社といえば、この太鼓橋。淀君が寄贈したと後で知りましたが、淀君ドSか!と思う程の急勾配。写真だと判りにくいですが、実際見たらあまりに傾斜があったのでびびりました(笑)
スニーカーならともかく、ご覧のように着物で、しかも9cm草履を履いていたため、一苦労しました(別にこれを登らなくても行けるんですが)。
あちこちの碑やら看板?やらを見て回って、こっから遣唐使が行ったんだって!へー!!とかやってたんですが(まだこの辺まで海だったんですね)、驚いたことに、ちょうどこの年、建立されて1800年目だったらしく、何か大理石のウサギが寄贈されてました。
卯の日にお祀りされてるなんとか皇后がお参りに来たから卯の年を尊ぶようになって、ほら、今年卯年でしょ?1800年目の記念の卯年ということみたいです。(完全に聞きかじりの知識)
いやでも1800年前ってちょっと凄くね?え?1800だよ?200年代って何があった年?ぐらいの感じだよ?と言いながら、片っ端からお参りしました。
しかも平日とはいえ、閑散としてらっしゃる(笑)いや、人がいるにはいるんですが、1800年だぜ?卯年は12年に一度しか来ないぜ?もっと盛り上がろうぜ!って言いたくなるぐらい、ものすごく普通(ちょっと前に毎年あるお祭りがあったみたいですが)。
大阪城の戦跡やら公会堂やら、役所やらの近代建築物(西洋風)を大事にしないなあ。完全に廃墟っぽいとこもあるし。とは思ってたけど、何か昔の物が周りにありすぎて、近代とか、は?そんなのどうでもいいし。ぐらいの感じなのかなあと思ってたけど、何かもう残したいものがあったら残したい人がやれよ的なスタンスを一瞬理解しそうになりました。
観光がどうとか言うんだったら、ちゃんとあちこち保存すべきだよなーと思うので、一瞬だけですけど。
しかし住吉さんて、大きいけどもあまりにもその辺に溶け込みすぎていて、扱い的にはその辺の氏神さんと変わりなくて、まあ変に持て囃されるよりも、正しい形のような気もしました。
基本的に神社は綺麗にしてなんぼのところがあるように思うので、その頃のものがそのまま残ってるという訳ではないのですが、遣唐使が無事を祈ったり、時代時代ごとに色んな人がお参りに来たんだろうなあと思うと、歴史の重みを感じましたです。
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