ワードの原稿何回見直しても本文4ページから始まってて、まさに解せぬ・・・という境地の礼です。こんばんは。
印刷屋さんから電話がないので、多分中身問題無いんだと思います。
そんなこんなで、入れたかった後書きっていうかトークが入らなかったので、ここでちょこっと新刊について書いとこうかと思います。
一応単品でも読めるようにしたつもりなんですが、思いっきり前作のその後です。
タイトルも前作に続きキルケゴールさんから頂いてます。
ちなみに前作で頂いた死に~は哲学書で、今作の野の~は宗教書なんだそうですが、私には差がさっぱり判りません(笑)
野の~は日本語訳では野の百合、とされているのが多いみたいですが、キルケゴールさんが本を書く元になった聖書から考えて花とするのが正しいだろうということだったんで、そっちを採択してみました。単にあんまりまんまパクるのもあれかと思っただけともいいますが(え)
誤訳というと、キルケゴールというお名前も、彼の母国ではそんな読み方じゃないらしいですがね。
さて、彼はいくつも本を書いてますが、何故あえて野の~を採用したかというと、死に~と表裏一体の存在だからというところです。
タイトルこそお借りしていますが、内容は当たり前ですが全く関係無くって、単なる連想で出てきたものなんですが、表裏一体っていうのは、テーマとも言えぬテーマとしてありました。
鏡の向こうの相手のように、覗き込んだ深淵から返ってくる視線のように、兄弟にとってはお互いもお互いの感情も、何か色んな事が表裏一体なんじゃないかなというのが凄くあります。
そういう意味でいうと、野の花~で見たハッピーエンドは、死に至る~の時に既に見えていたもので、今回ハッピーエンドとは言っても反対から見れば何も変わってないとも言える訳で、そうなると野の花~はいわゆる蛇足に近いのかもしれないですが、その表と裏だとか陰と陽だとか、とらえ方ひとつで劇的に変わるものがあるからこそ、敢えて言葉として表現しているのだとも思うので、自分としては書けて良かったとは思います。
ただ、こんなことをこんなとこでぐちぐちと書いているのは、まあ内容的にそれを伝え切れてないんじゃないかと凄く思っているからで(笑)
まあ、そうは言っても、私の思惑はどうでも良くて、読みたい人が読みたいように取ってくれればそれでいいんですけどね。だからこういう解説こそが蛇足なんだろうなとは思うんですが、タイトルのことだけでも注釈しときたかったので、ついでに。
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