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-H.S.A-memo
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岩手の酒造屋さんからの動画です。
やはり自粛は恐ろしいですね。どんな行動も自己満足に過ぎない以上、「自粛」も当然自己満足だと思います。
その上経済を萎縮させ、被災地を追い込む可能性がある。同じ自己満足なら、やっぱり「やる偽善」の方だと思います。

必要以上に騒がなくていいのは、先の日記にも書きましたが、普段からです。人様にご迷惑やお世話をかけるような騒ぎ方は、地震があろうとなかろうとするな、って話ですよ。

あちこちで、チャリティーグッズの販売やってるじゃないですか?
で、支援になるならTシャツとか買おうかなって思ったりしたんですが、「中国製」っていうのを見てなんか違和感感じて止めたんですけど、こういうとこから来てたのかと思ってちょいすっきり。

いや、別に中国製でもアメリカ製でも何でもいいんですよ。そちらと契約してる会社が回る訳ですし。
でも今はやっぱり日本製にこだわりたい。一から全部日本で回すのと、海外を間に挟むのとでは経済効率どうなのか判りませんけどね。でも全部日本で回す方が、関わる国内の企業が多いかな?って思うので。
今はどうしても海外からの輸入に頼りがちになってますし、尚更。

私はお酒が飲めませんので、花見に酒は持っていかない訳ですが、被災地域で製造するようなチャリティグッズとかあったらいいのになー。そしたら被災地にも仕事やお金が回るし、チャリティーにもなるし。



もうひとつご紹介。

「炊き出しはやめてくれ。与え続けられれば、ミジメになるだけ。それよりも、炊き出しをさせてくれ。仕事をくれ。役割をくれ。被災者も役に立ちたいんだ。屋台を建ててくれ。そこで商売するから。トラックをくれ。支援物資を運ぶ仕事をするから。」

ツイッターで見かけたつぶやきです。

ただ与え続けることは自立心を挫く、ってあったのは十二国記で、いつでも十二国の中の言葉を思い出しては自戒する日々ですが(人生のバイブルですから!)、この言葉の力強さと志の高さに泣きそうになります。

人は良くも悪くも慣れる生き物です。豊かであることにも、貧しくあることにも慣れて、それに合わせた生活をするようになるものです。
日本人の迎合しやすい特性は、これを顕著にしていると思います。
熱しやすく冷めやすいなんて、よく言われますが、これもこの特性から来るものかなって思ったりします。

与え続けられれば、その内それが当然になる。与えられることに慣れて、与えられなければ文句を言うようになる。

慣れることが悪いと言ってるんじゃないですよ。十分長所になり得る特性ですから。
だって、この呟きを見たら判りますよ。

与え続けられることを「みじめ」と感じる心。これがあれば、自立心を挫くことなんて出来ません。
状況に慣れること。それは、どんな状況でも、笑っていけるようになるってことですよね。
自立心があれば、いつか上を目指すこともできます。


アルは「哀れまれる謂われは無いよ!」って言いますけど、改めて、この強い心根がある限り「哀れみ」は必要だと思ったりします。
哀れみ方の問題といいますか。口先だけの哀れみはどうかと思いますが、この口先だけってのが「ただ与えるだけ」に当たるんじゃないかな。

ただですね、義援金やらが、哀れみから来ててもいいと思うんです。だってどうしたってお金は必要だもの。

同情って嫌われがちですが、同じ気持ちって書くんだから、別に悪い事じゃないはず。
心を寄せる、PrayForJapan、ですし、一時共に泣くことで得られるものもあると思う。
それは「頑張れ」でも同じです。頑張れに関しては語り出すとまた長くなる(笑)でも同じ事だと思うから。

だから一瞬の同情や一時期の頑張れだって、別にいいと思ってるんです。
だって、ほとんど関わりの無い人がくれる言葉や気持ちって、それだけで貴重ですもん。
立ち上がる為に、たった一円の寄付が必要なことがあるんですから。

炊き出ししてもらうためのお金、トラックを用意するためのお金、屋台を作るためのお金。小さな役割ならともかく、家を、仕事を、その為の道具を用意するにはどうしたって「お金」が必要で「与え」る必要があると思います。だけど、ただ与えればいいってもんじゃない。哀れみ続けるだけじゃいけない。

行政がすべきはそちらなんですよね。立ち上がる、生活する、自立するための補助。

そして私たちがすべきは、それらが円滑に動くためのお手伝いです。つまり経済活動。
やはり自粛は以ての外です。どうしたってお金は必要なので、経済を回して、さらに余力があれば募金すればいいし、自分のためにちょい贅沢でもいい。



だから、みじめになる必要なんか無い。遠慮することもない。十分な支援を受けて、立ち上がって、自分だけで歩けるようになったら、もういいよ、もう大丈夫だよって言えることが大事。

支援は哀れむだけではいけない。十分な支援をして、立ち上がれる時期を見極めて、きちんと手を離す。そのまま見放さない。見守ること。それすら必要なくなる日まで。



その上でもうひとつ、そこから先へ行ける人間になりたいって思います。

どんな気持ちや言葉でも、どんな時も受け止められる人間でありたいと思います。

自分で立ち上がって、歩いて行ける時に、それでもまだもたらされる哀れみや同情があるとすれば、跳ね返すのでなく、拒否するのでもなく、有難うと受け取れる人間になりたい。
受け取って、くれた人の代わりに、立ち上がれずにいる人に渡してあげられるようになりたい。


そこに自分の1を足して11にして渡せれば、なお素敵ですね(笑)


・・・・・言うだけならかんたんですよね(笑)
散々偉そうなこと言ったけど、自分がそんな風になれるような気がしません(笑)いつだって超ダメ人間なんだぜ私ときたら(笑)
まあでも、そう普段から心がけることが、ちょっとでも心を強くするのならいいな、と思います。
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