長襦袢の裾に返しがつきましたよ!
四枚の端切れだったものが、何食わぬ顔して裾になりました!
まあ元からそのような顔をしてついていたので、当たり前なんですが。
こっちは裏側で、この裏に返してある部分がまるっと端切れだった部分です。
表。
ちょっとだけ「ふき」っぽく見せています。判るかな?
コテ(アイロンみたいなの)でなく、しつけ糸で抑えることで、ふんわりした「ふき」を作りました。
ふきっていうのは、裾とか袖口とかに、裏地とかを少し出して仕立てたのをいいます。
裏地が表地より出るので、汚れとか傷みを防ぐ役目もありますが、袷の着物だと裏地の色が違ったりするので、装飾的な意味も持ちますね。
今はせいぜいチラ見せですが(打掛とかなら沢山出てますが)江戸時代だと、ふきをたくさん出して作ったみたいですよ。
江戸華やかなりし頃は、袖も長くなったし帯も太く長くなったし、ふきもでっかくなったと。これは袖やら帯の方向から考えても、完全に装飾の方向だと思われます。実利もあったんでしょうが。
このころはお引きずりが普通ですからね。外に出るときだけおはしょりを取って、家では裾引きずってる訳ですから、傷みも半端無かったでしょうし。
ちなみに、帯結びも前でした。前結びというと何となく花魁を思い出す人が多いかもしれませんが、普通に考えて、何も知らない状態で帯結んだら前に結び目が来るように、普通に結んだら前結びになる訳ですよ。だいたい寝る時とか背中に結び目あったら痛いじゃないすか。
ところが、この時代、帯がどんどん太くなって長くなって派手になって帯結びも凝るようになって、邪魔だから家事する時は帯を後に回すよ!ってことになって、その内、もう面倒だから初めから後に回しとけばいいんじゃね?ということになったようです。
だから帯を前に結んだまま一日過ごせる人は、イコール家事をする必要が無い、イコールお手伝いさんがいらっしゃる、イコール人を雇う程度にはお金持ち。という図式が誕生する訳ですね。
私なんかだと、元々短い、細い時代があったんだから、袖も裾も帯も戻せばいいんじゃと思うんですが、江戸時代の人の洒落心って奴なんでしょうか・・・・・。まあ庶民でもそれなりに心にもお金にも余裕があったってことなんだろうとは思うんですが。
だから前結びだから花魁ということはなくて、(そもそも連想するあの派手衣装は花嫁衣装だし)、背景的に前結びで当然なんですよねー。
そこから時代が過ぎゆきまして、おはしょりは最初から取るわ、帯結びは後に持って行くわという今の着姿が出来上がった訳ですが、いやはや歴史を感じますな。
少し動きやすくなったとは言え、装飾過多な時代の形を引きずっているので、多少の不便は仕方なしというところでしょうか。
今はもう洋装と合わせたり、着物自体の形を変えることはあんまり歓迎されないだろうとこを見ても(まあそれでなくとも死に体ですしね)、単なる「着る物」だったものから「伝統装束」みたいなものに完全に移行しちゃってるってことなんだろうと思います。
個人的には「着る物」の着物を楽しみたいと思ってるんですが、でもやっぱり着物の袖は長い方がかわいいと思うので、まあほどほどでやっていきたいと思います(笑)
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