× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 うおお、獣の~アニメ、何だか名作劇場みたいな感じ・・・・!(ナレーションとか)(っていうか10分ほど見遅れた) 五話の兄さんが、どうしてあそこまでくずおれているのか。それをずっと考えてたんです。 兄さんの性格を変えたことに対する一期批判を、ボンズが知らないとは思えないんで(知らないのかなあ)、だからやっぱりわざとだよな、と思って。 絶望と恐怖。私は五話を結局そう読み取りました。 追い詰められたエドが、全てを手放す程、 追い詰められたアルが、憎しみをさらけ出す程。 私は原作の兄さんが凄く好きです。 泣かない兄さんを泣かせた一期が憎らしかったぐらいには(今は愛してますけど 笑)。 原作の兄弟は、本当に強くて、ウィンリィとかも含めて、あんたたちまだ子供なんだからもうちょっと弱くてもいいよ!?と思うぐらいに(子供なりの愚かさみたいなものは描かれていますが)出来た子たちで、何かこう、私なんかは、自分の子供時代を振り返ると情けなくなったりするぐらいなんですよね(笑) 牛先生が力的にはレベル100って言うように、そういうヒーローめいた、憧れの、という感じがありましたから、そういう意味で水島版には、反発も感じる反面、何となく安心できるものがありました(あの色気はともかく 笑)。実際いたら水島版兄さんはうざいと思うので、原作兄さんとオトモダチになりたいですが(笑)。 そして入江版。1~4話まではともかく、五話です。絵の力もあるとはいえ、原作では体を起こしていた兄さんが、完全に横倒しになって、ただ殺されるのを待っている。 二期には、水島版に無くて一番見たかった「原作らしい強い兄さん」。これを期待してたので、あれれ?みたいな、拍子抜けなところはありました。 自分を完全に差し出して、起き上がろうともしない。 スカーの気が自分から逸れても起き上がれない。 この時兄さんは何を考えてたんだろ。 前者は明らかに、アルのことですよね。 二期テーマだと思われる執着を視野に入れれば、兄さんはアルを生かすということに物凄く執着している。 それは、「足だろうが、腕だろうが、心臓だろうがくれてやる!」って、ここから始まっています。自分を差し出すことを厭わない程の執着。たったひとりの弟なんだっていう、あの時の気持ちと多分変わらない。 一回だったら、勢いとか、そういうのもあるかもしれないけど、二度に渡ってエドはアルのために自らを手放そうとする。 共にあることを選ばない執着って、どんなだろ。全然想像が付かないです。 私にとっての執着って、やっぱり生きていく力になるものなので。 その後軍部の助けがきても、助け起こされるまで自失の状態です。 全力で死ぬ気(変な言葉だ・・・)だったので、多分急に戻れないような感じ。 それほどの執着を描きたかったんだろうか。兄さんの強さを横に置いてまで? 二期は原作に準じるはずでは?っていうか、水島版と似た兄さんでも仕方ないよね? そこで、もうひとつ私にとって重要なファクターが「原作もアニメも台詞は同じ。命を投げ出すなんて、とアルに怒られるほど諦めてしまった兄さんなのは同じ。」ということです。 表面に出た形は違うけど、弟の命ごいの為に他の可能性を捨てたのは、原作兄さんも同じです。 あ、じゃあ、もしかして、そこからでも立ち上がれる。そんな兄弟を、描きたかったのかな、と思いました。 「強さ」って別に一種類じゃない訳で、負けない強さっていうのはもちろんだけど、負けても負けても立ち上がれる強さっていうのもあるよな、と。 しかも兄弟はまだまだ成長する訳です。子供の強みは、例え愚かだとしても、どんどん吸収して、いくらでも強くなっていけることですから。実際この後兄さんは、スカーと互角に戦うようになっていく。 そこでふと思ったのが、クローズアップです。 いえ、兄さんの顔のアップが多かったとかそういう話でなく(笑) 入江版では、それぞれのキャラの感情がクローズアップして描かれている。そのひとつが「執着」です。 でもそれ以外でも。 その場の感情の発露をオーバーに描いていくことで、伝えたいことを明確にしているのかも。とちょっと思ったり。正直、そうだとしても、やっぱりあんなにする必要はないんじゃ、とは思うんですけど(笑) 負けても負けっぱなしじゃない、立ち上がれる、立ち向かえる。そういう兄弟も、私は好きなので、入江監督がどう描いてくれるのか、楽しみでもあります。 明日は7話。どんなのかな~~~。 PR この記事にコメントする
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